俺の話を聞いてくれ

もっとこじらせろ

社会に対して異議申し立てをするのはいいけど他人に期待するのはやめとけ

とりあえず言いたいことはタイトル通りです。以下垂れ流し。

世の中を変えようという気概それ自体は良い。ただ他人というものは簡単に変わるものではないし、他人の集合体である所の世間や社会といった人間組織を変えるのはそれ以上に難しい。
だからといって異議申し立てすることが悪いということではない。問題は社会に問題提起をしてどのような世の中に変えていくかと言う所にある。

基本的に世の中を変えたがる人というのは今の世の中に不満を感じている、もっというと社会に対するルサンチマンを抱えている人だ。それが悪いというわけではないけれど、それだけで世の中を変えようとすればその結果はだいたい歪んだものになるし、よくてオセロのようにマジョリティとマイノリティが入れ替わってしまうだけだ。それでは世の中の悲しみを減らすことはできない。
自分の抱えた悲しみさえ無くせればそれで良いというのでは『自分たちを虐げる』マジョリティとなにも変わらない。世の中にはいろいろな悲しみを抱えた人がたくさんいるのだ。自分の悲しみを認識できると言うことは他人の悲しみだって同じように理解出来るはずだ。

ではどうすれば良いのかというと、まずは自分の身の回りの悲しんでいる人を助けてやることだ。
自分を変え、自分の身の回りを変え、と小さなところから変えていけば最終的には社会だって変わる。もちろん時間はかかるけれど、世の中の人間を変えるというのはつまるところそういうことだと自分は思う。

対話は続けるべきだ。いかに相手が分からず屋でも彼らを変えることができなければ社会も変えることができないと思った方が良い。どうせわからないと内輪で溜飲を垂らすだけでは先鋭化して世の中に受け入れてもらえなくなるだけだ。それでは世の中は変わらない。

というのが今年色々やってきた感想かな…
来年はリアルでもネットでももっと活動できれば良いなあ…
やりたいことは沢山あるのに体力がなさ過ぎてぐったりだから…